ディアーヌ・ド・ポワチエ、アンリ2世の愛妾【19歳年下の王子を魅了した女性とは!?】

もし自分が40歳の時に20代の男性に告白されたら・・・?

そんなことあり得ない!?

いえいえそんなことは歴史の中ではけっこう起きてます。

あのデヴィ・スカルノ元大統領夫人とか・・

そしてこのブログで紹介する・・

ディアーヌ・ド・ポワチエもそんな女性の一人です。

ディアーヌ・ド・ポワチエのプロフィール

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名前:ディアーヌ・ド・ポワチエ

生年月日:1499年9月3日

没年月日:1566年4月25日(66歳没)

配偶者:アネ領主ルイ・ド・ブレゼ

子女:二人

出身:フランス

フランス王アンリ2世の愛妾として非常に有名

ディアーヌというのは月の女神という意味があり、まさに彼女の容姿は月の女神そのもの、そして人生も月の女神そのものでした。

貴族の娘として生まれる

ディアーヌ・ド・ポワチエは、サン・ヴァリエの領主ジャン・ド・ポワチエ(1539年没)とジャンヌ・ド・バタルネの娘として、サン・ヴァリエ城で名門貴族の娘として生まれます。

サン・ヴァリエはローヌ=アルプス地方のドローム県にある街です。

幼いころから美少女として名高く、賢い彼女は、まだ少女の時に、ルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージューの随員を務めたこともあるほどでした。

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アンヌ・ド・ボージュは中世においては珍しく、弟のシャルル8世の未成年の時にはフランス摂政を務めたこともあるほど、賢く強い女性でした。

15歳で54歳の男性と結婚!?

そんな美少女で賢いディアーヌ、多くの男性からアプローチを受けていたのは間違いのないことですが・・

なんと親の都合で15歳の時、39歳年上のアネの領主ルイ・ド・ブレゼという男性と結婚させられます。

今なら法律で訴えられるレベルというか、犯罪ですが・・

この当時は女性は10代そこそこで結婚するのが普通で、家同士の利害で結婚するのが普通でしたのでなんら驚くことではないのですが・・

いくらお金があってもそんなお祖父さんと結婚するのはディアーヌも苦痛だったのではないかと思います。

結局ルイとの間には娘を二人授かります。

王の母や王妃の侍女に抜擢されるほど宮中からの評価も高く、優雅なディアーヌは宮中で最も美しい女性として尊敬されていました。

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夫の死後黒いドレスで過ごす

31歳の時に夫は亡くなります。

二人が愛し合っていたかはさておき、ディアーヌは残りの人生を喪に服すために黒いドレス(後年には白と灰色も加えた)で過ごします。

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優美なレース、

銀糸のリボン、

銀色のベルト、

肘に入ったスリットからのぞくブラウスの袖。

美しい金髪

黒と白、そして銀色で彩られた喪服は、夜空に浮かぶ月の色。まさに月の女神と呼ばれる美女にふさわしい装いでした。

ディアーヌ流の喪服はたちまち評判となり、大流行しました。

以後この黒いドレスは彼女の代名詞的なものとなります。

色めいた話の多い宮中で、ディアーヌはアンリ2世の愛妾となるまで、いわゆる貞操を守る淑女としても尊敬を集めていました。

アンリ2世の愛妾として絶大な力を得る

夫の死後、彼女は徐々に本来の力を発揮していきます。

夫に代わり領地の財政処理や、法務処理にあたるようになり、夫のノルマンディー知事としての報酬と大宮内官の称号を手に入れ、ノルマンディー宮内官夫人の称号を得ます。

まあいわゆる現代で言う県知事です。

今でも女性の知事は少ないと思うと、すごいことですね。

アンリ2世との出会いは?

さて後にディアーヌを愛するアンリ2世はどんな人物か?

アンリ2世はヴァロワ朝の第10代のフランス王です。

有名なブルボン朝(フランス革命で処刑されたルイ16世など)の前の王朝です。

王子として生まれたアンリ2世でしたが、7歳の時に人質としてスペインに送られるという過酷な体験もしています。

スペインに送られる前に、亡くなった母に代わって優しく別れのキスをしてくれたのが、当時26歳のディアーヌでした。

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女神のほほえみ★

不安で泣く幼い王子を「大丈夫ですよ。必ず帰ってこられます。」とディアーヌは優しく励ましたそうです。

この時の美しいディアーヌがアンリ2世にとって理想の女性になっていったのは必然かもしれませんね。

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アンリ2世の教育係として

12歳になってアンリ2世はようやくフランスに戻ります。

長い人質生活で身も心も弱り、性格は暗くなっていました。

そんなアンリ2世を心配した父フランソワ1世はディアーヌに相談します。

「アンリ王子のことだが……あれはまったく女に興味を見せようとしない。あいつの精神は死んでいるのだ」

「死んではおりませぬ、お眠りになられているだけかと」

こう答えたディアーヌに対し、王は命じます。

「ならばその眠った精神に、そなたが血を通わせてみるがいい」

こうしてディアーヌにアンリの家庭教師を務めます。

王族の人間としての教養だけでなく、性の教育係も担っていたと言われています。

憧れのディアーヌから様々な手ほどきを受けたアンリは、快活な性格に戻っていきます。

そしてディアーヌへの想いは憧れから、はっきりとした恋心へと変わっていきます。

1531年、兄フランソワの新しい妻エレオノールを王妃に迎える馬上試合では

兄フランソワが新王妃に敬礼したのに対し、

アンリはディアーヌに敬礼を贈り、ディアーヌへの想いを公にしていきます。

王妃なんて敵じゃない!?真の王妃は私

19歳年上のディアーヌへの想いを隠すことなく公にしていき、二人の関係自体は決して反対されるものではなかったのですが・・

結婚となると話は別。

アンリ2世はディアーヌへとの結婚を望みましたが、それは国政として観点から大反対。

結局アンリ2世はイタリアの有力貴族であるカトリーヌ・ド・メディシスと結婚します。

アンリ2世、カトリーヌともに14歳でした。

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(しかし彼女の地位は認められており、教皇パウルス3世が新王妃カトリーヌに「黄金のバラ」を贈った際、忘れることなく王の愛妾ディアーヌにも真珠のネックレスを贈ったと言われています。)

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このカトリーヌとの間には10人の子供を得ますが、アンリ2世はカトリーヌを愛したことはただの一度もなかったようです。

カトリーヌの寝室に行く前に、アンリ2世は必ずディアーヌに励まされてから妻の寝室へと行くという・・

その光景を見てしまったカトリーヌは「見るんじゃなかった・・」っと相当ショックを受けたそうです。

(妻からしたら溜まったものではないなあ・・)

カトリーヌはアンリ2世をものすごい好きだったようですが、その気持ちが生涯報われることはなかったんです(+_+)

この可哀そうな王妃さまについてはこちらか→*編集中

ディアーヌは美貌、知性、政治的洞察力に優れていたのはもちろん・・

アンリ2世の愛、信頼のすべてを兼ね備えていたので、アンリ2世は多くの公式書類をディアーヌに任せ、2人の名を併せて「HenriDiane」と署名させていました。

(王妃はそんなこと一切させてもらえなかったのに・・)

ディアーヌは「玉座の後ろのブレーン」であり、宮廷でも真の王妃はディアーヌとされていていました。

カトリーヌも美人ではないものの、所作などは美しい少女で、食事のマナーや絵画などの文化には精通していたのですが、アンリ2世の愛を得ることはなかったと言われています(+_+)




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