最愛の夫スカルノ大統領が亡くなり、インドネシアでの財産も没収されたデヴィ夫人。
普通ならばここで挫けてしまいそうですが、そこで負けないのがデヴィ夫人
マスコミがうるさい日本は避け、フランスへ戻り、コンサルタントの仕事を始めたそうです。
寝る間も惜しんで働き、デヴィ夫人の会社は徐々に軌道に乗っていきます。
そんな中で多くの恋があったそうです。
スペイン人銀行家との恋
30歳の時はスペイン人銀行家と恋に落ちたそうです。
その人とは再婚を望むほど真剣にお付き合いしたそうですが・・(婚約発表までしている)
その人はスイスで銀行を経営していたそうですが、当時のスイスはスイス人以外が銀行を設立すると、詐欺罪にあたる時代だったそうです。
デヴィ夫人はパリに避難できたものの、その人は拘留されてしまったそうです。
その後、その人はデヴィ夫人の前から姿を消してしまったのだそうです。
フランス貴族との恋
スペイン人銀行家と別れてしばらくたった時、サブラン公爵と出会います。
サブラン公爵の妹君は、オルレアン公爵夫人というフランス王家の末裔ともいえる家柄の貴族でした。
デヴィ夫人曰く、サブラン公爵はロバート・レッドフォードそっくりのイケメンの独身男子だったそうで・・
お互いに一目で恋に落ち、公爵もデヴィ夫人との結婚を望んでいたそうですが・・
そう簡単にはいかないのがフランスの社交界という場所。二人を別れさせるためにあの手この手を使って嫌がらせをしてきたそうです。
「二人の結婚は太陽が西から昇るよりも恐ろしい」と言われたそうです。
表では笑っていながら、陰で足を引っ張りあうような世界でしょうか?城もちの大富豪、貴族、女王蜂のような女性たちがやっきになって二人を別れさせようとしてきたそうです。
特に年頃の娘を持つ家は、「私の娘こそ・・。」っと思っていたのでしょうね。
更にデヴィ夫人が東洋人であることも、かなりマイナスに働いたのだそうで・・(今でも東洋人差別はフランスでは根強いですからね。)
そんなことも楽しんでしていたそうですが、サブラン公爵と結婚するには100億円ともいえる持参金が必要なうえに、祝福されない関係であることに嫌気がさし、デヴィ夫人の方から別れをつげたそうです。
その後サフラン公爵夫人は大富豪の令嬢と結婚したそうです。
社交界で楽しんだ恋のゲーム
1970年代、デヴィ夫人はヨーロッパの社交界に唯一自由に出入りできる東洋人だったのではないでしょうか?
(今でも東洋人が入っていくのは至難の業ですが。)
そんな社交界では、色々な男性と恋のゲームをしたそうで・・
エリザベス女王の従兄弟と恋愛関係になりながら、他の男性と恋に落ちてニューヨークにファーストクラスで逃避行!!
なんてドラマチックなこともしたそうです。
とはいえどれも結婚にはいたっていません。
特にヨーロッパの社交界、とりわけフランスでは「結婚と恋愛は別。」と考える習慣があり、男も女も夫、妻以外に恋人、愛人がいるのは当たり前と言えば当たり前だそうで・・
働かないで人生を謳歌できる人たちのゲームといったところのようです。
ヨーロッパの貴族でさへ魅了してしまうデヴィ夫人の魅力は相当なものだったんですね!
22歳年下の彼氏アラン・ポラック

出典:Withonline
デヴィ夫人が44歳の時、とあるプリンセスのパーティーに呼ばれたそうです。
そこにいたのが、当時フランスでモデルをしていたアランポック、当時22歳。
彼は若きプリンセスに紹介される予定だったそうなのですが、
なんとプリンセスよりデヴィ夫人の方がいいと言って、デヴィ夫人に交際を申し込んだのだそうです!
22歳年下の男性を魅了するなんて、まるでアンリ2世と、ディアーヌみたい(゚∀゚)

19歳年下のアンリ2世を虜にしたディアーヌ
デヴィ夫人曰く当時は若くてハンサムなだけの青年で、まだまだ教養もお金もなかったそうなのですが、
デヴィ夫人が一から教養や立ち振る舞いなどを叩き込んで、立派な紳士へと育てあげたそうです。
以後15年同棲を続け、若いときにはできなかった新鮮なデートを楽しむことができたそうですよ!
魅力があれば、二十歳以上年下でも魅了できるんですね!
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デヴィ夫人のプロフィール
名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
旧名:根本七保子
生年月日:1940年2月6日
年齢:80歳(2020年10月時点)
出生地:東京
国籍:インドネシア
身長:159㎝
日本出身で唯一外国人大統領の妻になった女性です。
2020年にはYoutubeチャンネルも開設し、Twitterも使いこなされています。
テレビでもネットでもますます注目を集めているデヴィ夫人です。