Xin chao!
ベトナムは中国から独立するまで1000年戦い続けたことと↑
中南部にはかつて
「チャンパ王国」というインド系の文化をもった国が
あったことはこちらで解説いたしましたね。↓
こちらでは、中国から独立した
十二使君時代から解説したいと思います!
ちょっと長くなりますが、最後までお付き合いください。
独立したベトナム でもまとまらない
939年に南漢軍を打ち破った
ゴ・クエンによって、ベトナム初の王朝である
呉朝が開かれます。(939年~967年)
しかしこの時点でのベトナムは、
各地方の有力な豪族がそれぞれ力を持っている状態で。
ゴ・クエンが生きている間はまだよかったのですが、
944年にゴ・クエンが病死した後、
ベトナム(安南)は多数の土豪が並立する群雄割拠の時代に入ります。
ゴ・クエンの親族たちの動き(944年~965年)
944年に呉権の義兄弟である楊三哥(ズオン・タム・カー)という人物が
ゴ・クエンからは「息子たちの補佐してほしい」
っという遺命があったのにも関わらず、
王位を簒奪して、自ら平王(ビンヴオン)を称します。
(まあ、いつの時代もありがちなお話ですね・・)
そんな王が各地の豪族の支持を得られるわけもなく、
各地の有力な豪族は、次々と呉朝からの独立する動きを見せます。
950年に呉権の次男ののゴ・スオン・ヴァンは将兵の支持を得て
ズオン・タム・カーを倒し!
王位を回復します。
ゴー・スオン・ヴァンは都・コロア(現在のハノイ市ドンアイン県)
から出奔していた兄の呉昌岌(ゴー・スオン・ガップ)を呼び寄せて共同統治を行います。
(兄弟の仲が良くて良かった!)
954年にゴー・スオン・ガップが亡くなると、単独統治を行います
が・・・・・
どちらにしても呉朝の支配力は弱かったので・・
内部矛盾を抱えた呉朝の国力は衰退していく一方でした。
965年に、ゴー・スオン・ヴァンは、
大羅北西部で発生した反乱の鎮圧中に戦死してしまいます。
やっと独立してできた王朝は、わずか20年あまりで終わってしまいます。
(*’▽’) まとまるのって難しいねえ
十二使君の乱(965年ー967年)
ゴー・スオン・ヴァンの死後に
ベトナム(安南)は12人の有力な土豪が互いに争う十二使君時代に突入しました。
(本当に12人いたんですけど、名前は割愛します。)
966年にゴー・スオン・ガップの子である
呉昌熾(ゴ・スオン・シー)が
「呉使君」を称します
でも、呉氏の王権はすでに有名無実化していましたので・・
当然他の使君は従わず・・
呉氏は十二使君の中の一勢力として扱われ、
他の使君と同じく、後に丁朝を開く・・
丁 部領(ディン・ボ・リン)によって平定されちゃいます・・
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