ベトナムの歴史を勉強しよう【番外編・ベトナムと阿倍仲麻呂】

Xin chao!

蛇姫です。

ベトナムの歴史の中で1000年間は

中国からの独立を勝ち取るための歴史であったことは

ご紹介しました。

ベトナムの歴史、紀元前から中国から独立するまでの1000年を歴史上の英雄と共にまとめてみました。

まだベトナムが中国の唐王朝の支配下にあったころ

ベトナムに行き

ベトナムの地域の政治に携わった日本人がいました。

その人物の名前は

「阿倍仲麻呂」

阿倍仲麻呂 - Wikipedia

です。

百人一首で

「あまのはら ふりさけ見れば 春日なる

        三笠の山に いでし月かも」

っと歌を詠んだことで知られています。

この歌の意味は、

天の原をはるかに見渡したときに見える月、この月は私のふるさとの春日にある三笠の山の上に出る月と同じなんだよなぁ。

っと百人一首の歌の中で、唯一外国で詠まれた歌として知られています。

今回は番外編ということで、彼の生涯とベトナムとの関わりを見ていきましょう!

プロフィール

名前;阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)

生年:文武天皇2年〈698年〉 – 没年:宝亀元年〈770年〉1月)

奈良時代の日本の貴族で

当時の国家事業であった、遣唐使の一員として中国に留学

留学し先で役人として登用され、

日本に帰ることなく、唐で一生を終えたことで有名です。

阿倍仲麻呂 - Wikipedia

19歳で唐に留学、科挙に合格!

阿倍仲麻呂さんは若い頃からかなり優秀で

そんな優秀なら

「唐に留学して来い!」

っということで遣唐使として唐に派遣されます。

当時の中国で

太学(大学)と呼ばれた最高学府で学び

なんと

現地の人でも難しい科挙の試験に合格!

唐の役人として登用されます!

どれだけ難しいかというと・・

東京大学の入試を現地語で受けるようなものだと思えばいいでしょうか?

科挙の試験というのはすごーーーい難しくて

最盛期で倍率3000倍と言われています。

現地では一生かかっても合格できない人もいたそうなので・・

彼はよほど優秀だったんでしょうね( *´艸`)

ただ当時の唐はイケイケの国だったので、

外国人を採用することも珍しくなかったので、

外国人枠で採用されたという説もあります。

科挙 - Wikipedia



唐の三代の皇帝に仕える

阿倍仲麻呂さんは

楊貴妃を寵愛したことで有名な

「玄宗皇帝」に熱く信頼され、仕えます。

唐の楊太真が、玄宗皇帝の貴妃(楊貴妃)になった。 - 世界メディア ...

彼の役目は主に遣唐使の応対や

通訳、文書の作成などであったそうです。

イメージとすれば、

「皇帝」は社長で、

阿倍仲麻呂さんは優秀な通訳、秘書といった感じですかね。

ともあれその才能は唐の朝廷で高く買われ、

玄宗皇帝が亡くなった後も

粛宗 ・代宗 に仕えます。

(それで日本に帰れず中国で一生を終えたんですけどね)

中々帰らない、帰れないわけ

さて、その優秀さが買われて、阿倍仲麻呂さんは

唐の宮廷で順当に出世していきます。

彼が帰る機会は何度かあったのですが

「もっと勉強したいから、もっと中国で仕事したいから

っという理由で帰国しませんでした。

また彼の使命は

「中国の高僧を日本に招聘すること。」

「中国の最新の文化や社会システムを日本に持ち帰らせること。」

っというのもあり、まだまだやらなければ!っという思いがあったのかもしれませんね。

しかし、いざ彼が帰りたいと願い出た時、

中々許可が下りませんでした。

理由は重宝されていたから・・っというのと

現地で妻を娶って、子供が二人いたから!っというのも理由にあるみたいです。

現地で結婚してると容易に帰国できなかったそうです。

(そりゃ帰られたら妻はたまったもんじゃないさ・・)

ベトナム語オンライン教室生徒募集中↓

1レッスン800円~

ユースフルオンラインベトナム語教室




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。