歴史的に有名で強ーい女性・女傑を紹介!【神話~鎌倉時代編】

Xin chao!

蛇姫です(^^)

日本のコロナの感染者もだいぶ落ち着いてきたような気がしています。

このまま収束に向かうことを心から願います。

さて、そうは言ってもすぐに稽古が再開!!

っというわけにはいきませんから・・

この記事では歴史のお勉強ということで!

日本の歴史上でめっちゃ強かった!!っと言われている

女性をご紹介します!(^^)

昔から女は強かったのです!

稽古ができないときは勉強して

仁義礼智の【智】を磨きましょう!

神功皇后

長崎と神功皇后伝説

名前:大帯比売命(おおたらしひめのみこと) (古事記)

→名前は書かれている書物によって異なります。

生年:成務天皇40年(西暦171年) 没年:神功皇后69年(西暦269年)

第14代天皇である仲哀天皇の皇后です。

天皇不在の70年

神功皇后のすごいところは、

日本史上で後にも先にもない、

天皇不在の70年を作ったことです。

実は彼女は天皇の妻の位、第一位ではなかったそうで、

夫がなくなった後に、

第一位の妻の子をクーデターで倒し!

自らが皇太后 件 摂政の地位につき

70年もの間、国政を取り仕切るというバイタリティーを発揮しました。

戦にも参加

また彼女は

三韓征伐にも自ら参加します。

(当時朝鮮半島は新羅、百済、高句麗に分かれていました)

しかもお腹に子供がいました。(後の応神天皇)

彼女が先頭を切っていった軍・・

その勢いは船が山に登らんばかりだったとか?

日本書紀や古事記には

新羅の王が

「吾聞く、東に日本という神国有り。亦天皇という聖王あり。」

と言い白旗を上げ戦わずして降服し朝貢することを誓ったそうです。

明治時代までは一部史書で第15代天皇、初の女性天皇とされていましたが、

大正15(1926)年の皇統譜令(大正15年皇室令第6号)に基づく皇統譜より、

正式に歴代天皇から外されました。

とはいえ、日本で初めて政権を取り仕切った女傑であることには変わりないですね!

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巴御前

Tomoe-Gozen.jpg

名前:巴

生没年不明

木曽義仲の妻または妾と言われています。これには諸説あります。

義仲さんの妻として有名ですが、義仲さんには他にも

信濃と京に一人ずつ奥さんがいました(*’▽’)

幼いころから義仲と現在の長野県の木曽というところで育ち

馬・弓・剣・長刀

が並外れてうまかったそうで、

大人になると義仲と一緒に出陣するようになったそうです。

なので、義仲にとっては幼なじみで、恋人で、よき戦友であった!

っと言えますね。

彼女についての記述

「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」

出典:平家物語

っと平家物語には書かれています。

要するに・・

巴は1人で1000人ぐらいの強さがあって

弓がめちゃくちゃ上手くて

でも色白で髪が長くて!

すごい美人なんです!

ってことですね。

そんな美人で強-い彼女だったから、

義仲さんも側にずーっと置いておきたかったんでしょうね。

義仲との最後

さて、一時は天下をとった義仲でしたが、

最後は京から追い出されて、討ち死にしてしまいます。

その義仲の最後の数騎の兵の中にも巴はいました。

義仲は

「お前は女だから、逃げて落ち延びよ!最後まで女がいるというのはよろしくない」

っと説得して、落ち延びさせます。

巴は共に討ち死にする覚悟だったので、嫌がりますが、

「菩提を弔ってほしい」という義仲の願いを聞き入れ、落ち延びます・・が

そこで終わらず、

最後のご奉公!!っと言って

大力と評判という敵将が現れると、馬を押し並べて引き落とし、首を切ったそうです

(*ノωノ)

敵の首を引きちぎるって・・どんなパワーなんでしょうか?

その後は武具を捨てて、

故郷まで落ち延びて菩提を弔ったとか

源頼朝に召し出されて、鎌倉幕府の御家人の妻になったとも言われています。

ちなみに、鎌倉時代はけっこう男女平等

女性であっても、合戦に出て活躍すれば

ちゃんと評価されていましたし、

親から財産を受け継ぐ際も、

分割相続と言って、男女関係なく平等に土地がもらえました!

なので夫に頼らずとも経済的に自立していたので、

家庭の中でも発言権が結構強かったんですよ!(*ノωノ)

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板額御前

Hangaku Gozen by Yoshitoshi.jpg

名前:板額

生没年不明

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて実在した女武将です。

平家方の豪族

板額御前の家は、

越後の国(現在の新潟県)の有力な平家方の豪族でしたが、

源氏の台頭によって一家は没落し、船腹生活をします。

後に打倒鎌倉で決起して一家で鎌倉幕府に反乱を起こした際、

板額は、反乱軍の一方の将として奮戦したと

鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』に伝わっています。

反乱は鎮圧されるも・・

「女性の身たりと雖も、百発百中の芸殆ど父兄に越ゆるなり。人挙て奇特を謂う。この合戦の日殊に兵略を施す。童形の如く上髪せしめ腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。 中たるの者死なずと云うこと莫し」

出典:吾妻鏡

要約すると、

女だけど、その百発百中の武芸は父や兄にも劣らない!

この合戦のために作戦はよく考えられており、

子供みたいに髪を上にくくって(ポニーテール)

矢倉の上にいて自分に襲い掛かってくる輩は悉く殺しているので

彼女は死なない!

っという記述が残っています。

しかし最後は捉えられ、鎌倉に送られるのですが、

将軍を目の前にしても全く臆することをしなかったので

御家人たちも感服したそうです、

そんな彼女を見て惚れた、鎌倉の家臣に貰われて結婚して子供を産んだと伝わっています!

ちなみに彼女の容貌については

件の女の面貌宜しきに似たりと雖(いえど)も心の武(たけ)きを思えば」

っと、顔は良いけど、心は勇ましい・・

っという言われていて、

顔と武勇のアンバランスさに鎌倉幕府の役人も戸惑ったんでしょうね・・。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

ちなみに女傑のことを日本では

「巴板額」と言うぐらい

巴御前と板額御前は強い女性の代名詞にもなっています?

現在の巴板額を知りたい?

そんな人はこちらをどうぞ↓ ではでは

美しく強い女性剣士達をご紹介!




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