Xin chao!
みなさん4月30日は何の日でしょうか?
ベトナムでは
「南部開放の日」と言われています。
あのベトナム戦争終結の日です。

ベトナム戦争を代表する写真「安全への逃避」
ベトナムの歴史の中にも、世界史の中にも色濃く残る
泥沼化し、多くの人が亡くなった
ベトナム戦争・・
それが終わったのは1975年4月30日のことでした。
この日は
北ベトナムにとっては勝利の日
南ベトナムにとってはサイゴンを失った日になりました。
今日はベトナム戦争と
サイゴン陥落について、ベトナムが統一するまでのことをまとめてみました。
中にはショッキングな画像や文章があると思いますが
歴史的な事実を語る上で欠かせないと思いましたので
使わせていただいております。
まずベトナム戦争の背景とは?
ベトナム戦争は
1955年11月
から
1975年4月30日に戦車がサイゴンの統一会堂に突入したその時まで
20年にわたって続いた、世界史でも稀にみる泥沼化した戦争でした。
しかもこれは
当時世界を二分していた
アメリカ側の資本主義陣営
と
ソ連側の社会主義陣営
との
戦争を
ベトナムという地で行った・・
という代理戦争でもありました。
代理戦争等言うのは、自国同士で行わず
他国を背景から支援して、自国の領土を破壊しないで行う戦争のことです。
構図はこんな感じです↓
北緯17度線で南と北を分け、ベトナムが二分していました。
南側には、アメリカを中心とした資本主義の国がつき、
(日本もアメリカに対して軍事協力を行っていました。)
北側には、ソ連を中心として、中国や北朝鮮などがつき、軍事支援を行っていました。
なぜ南は資本主義陣営?北が共産主義陣営?
さて多くの方が疑問に思っているのは
なぜ南が資本主義側で
北が共産主義側だったのかと言いますと
端的に言うと
南側で政権を握った
Ngô Ðình Diệm(ゴー・ディン・ジエム)大統領
は反共主義者でした。
当時、東南アジアでは社会主義が広まりつつありました。
(カンボジアや北朝鮮やラオスなんかがそうですね。)
東南アジアの共産化を防ぎたいアメリカと
ベトナムの共産化を阻止したいジエム大統領との
思惑が一致したため、ジエム大統領はアメリカのバックアップを取り付けることに
成功しました。
一方北側には、
ベトナムで今も建国の父とされる
Hồ Chí Minh(ホーチミン)主席
が社会主義思想を中心とした国家を樹立し、
ベトナム統一に向けて動いていました。
ホーチミン主席はベトナムがフランスからの独立を決定的にした
インドシナ戦争(1946-1954)で、
強い指導力でフランスをベトナムから駆逐しています。
しかし、ベトナム戦争では、
南ベトナムとは平和的な統一を望んでいたと言います。
彼は1969年に祖国が統一することを見ることなく亡くなっています。
彼についての評価は色々ありますが、
今のベトナムがあるのは、この人がいたからであると思います。
非常に頭が良かったそうで、英語・フランス語・中国語などが堪能であったそうです。
コメント
ベトナムに行った時、クチトンネルにも行きました。
当時、村人たちが必死に戦ったのを実感しました。
博物館(だったかな?)にも行き、ホーチミンの銅像もみました。
ミュージカル「ミスサイゴン」も何度か見ました。
でも、戦争は悲劇しか生まないので、どんなことがあっても戦争は避けるべきだなと思います。