韓国の歴史ドラマを彩る存在として欠かせないのが
妓生です。
ファンジニが日本でもだいぶ流行ったのでキーセンという言葉くらいは知ってる方もいらっしゃると思います。
ドラマを見ると華やかな衣装を着て、美しい舞を踊る彼女たちにため息ものですが、彼女たちの人生は一体どのようなものだったのでしょうか?
華やかでも身分は奴婢?
キーセンの身分は奴婢です。
奴婢ということは人間として扱われないということです。
朝鮮王朝時代にはたくさんの奴婢がおり、
牛馬と同じように売買されていました。

出典:日本国土
ただし他の奴婢と違うのは、
妓籍と呼ばれる特別な籍を持っており、
国によって管理され、奴婢でありながらも
子どものころから歌舞や詩などの教養を身に着け、
身分の高い両班の家の出入りや、
官妓として宮中でお祝いの席や、外国からの使節をもてなすために
歌舞を披露するのが彼女たちの仕事になりました。
なので貧しい両班などよりもよほどお金持ちの妓生もいたようです。
なので彼女たちは
言葉を解する花
解語花(ヘヲファ)
と呼ばれ、他の奴婢が牛馬と同じなら、こちらは花です。
美しい花として愛でられる一方
生きていくためには
意に沿わない性的な奉仕も行わなければなりませんでした。
ファンジニは位の高い娼妓
ちなみに妓生と呼べるのは
歌舞や詩歌などを身に着け、
体を売らずとも生きていける女性のみで、
いわゆる売春を行う女性たちは妓生とは呼ばれませんでした。
娼妓にも1級~3級まであり、妓生と呼ばれるのは1級の属する女性たちでした。
しかしこれも朝鮮王朝末期になると、あまり区別されなくなったそうです。
1級に属する妓生たちは、教養も高かったため
かなり気位が高かかったそうです。
1級妓生は宮中での宴席での歌舞の披露と接待、
宮中に入らないものは自宅などに店を構えて、高級官僚相手に商売をしていたそうです。
2級以下は娼婦になります。
ファンジニもかなり気位の高い妓生として描かれていましたね。
宮中などで歌舞を披露する妓生は国から華やかな装飾品を身に着けることが許されていたので
その時々の流行を作り出していたみたいですね!

明治時代の写真
ただし朝鮮王朝も末期になってくると、娼妓すべてを妓生と呼んでいたみたいです。
妓生の子は妓生に
これはドラマでも描かれていましたが
妓生の子供が女の子なら妓生になるのが国の法律で定められていました。
そして、男の子の場合は奴婢として一生を終えることが決まっていました。
朝鮮王朝時代の身分制度は本当に厳格というか
身分がすべてというか・・
両班に生まれなければ、その一生は両班のために働いて
両班の言うことを聞かなければいつ殺されてもおかしくないような社会体制
その身分で生まれれば、その身分から上がることはできない社会でした。
なので妓生の子として生まれたら、妓生として這い上がるしかないわけですね。
現在の韓国の首都ソウルと
北朝鮮の首都平壌には、大きな妓生養成学校があったそうです。
平壌にあった学校