大河ドラマ「いだてん」もついに、ロサンゼルスオリンピックまでやってきましたね!
この頃の世界はだんだんと戦争の影が近寄っていましたが、オリンピック村では、平和で友好的なムードが漂っていました。
この時のロサンゼルスオリンピックでは水泳男子選手が多く活躍したそうですが、
今回は日本女性初のオリンピック金メダリストの前畑秀子さんについてまとめました!
日本女子水泳界のパイオニアの人生と人となりに迫ってみましょう!
プロフィール
生年月日 1914年 5月20日
泳法 平泳ぎ
生誕地 和歌山県
没年 1995年 2月24日(80歳)
大正から平成まで3つの激動の時代を生きてこられた方です。
貧しい家に生まれる
前畑さんの実家は豆腐屋さんを営んでおり、決して豊かな家庭ではなかったそうです。
しかし、尋常小学校5年生のとき女子50m平泳ぎ学童新記録を出し、
高等小学校2年生(現在の中学生)のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝!
200m平泳ぎで準優勝!
っという輝かしい成績を収め、その才能が注目されます。
しかし、家庭の事情もあり、前畑さんは高等小学校を卒業後、学業や水泳をやめて家業の豆腐屋を手伝うはずでしたが、彼女の水泳の素質に着目した学校長など関係者が両親を説得します。
そして名古屋の椙山女学校(現・椙山女学園)に編入し水泳を続けることができました!
いや!学校長さんがいなかったら、前畑さんが金メダリストになることはなかったでしょうから、本当にすばらしいと思います!
椙山女学校は前畑のために寮を提供!
プールを新しく作り全面的に支援します。
当時、女学校に行けるのはある程度裕福な中流以上の子だけでしたし、
ましてや女性のスポーツに対する理解もまだあまりない時代でしたから、学校は先見の明がありましたね!
初出場で銀メダル
さて、いだてんで、放映されている1932年(昭和7年)に開催された
ロサンゼルスオリンピックに出場した前畑さんは200m平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得しました。
(金メダルはオーストリアのクレア・デニスで、前畑とはわずか0.1秒差だでした。)
前畑さん自身はメダルも取ったし、もうやりきった感がすごいあり、結婚も考えていたので、これで引退しようと考えていたそうです。
まさかの市長の残念発言?
さて、ロサンゼルスオリンピックの後、東京市長は祝賀会を選手達に催しました。
しかし、前畑さんは市長から衝撃的なことを言われます。
「なぜ君は金メダルを獲らなかったのか。0.1秒差ではないか。無念でたまらない」
と涙を流して言われたそうです。
(((o(*゚▽゚*)o)))
ええー!あんなに頑張ったのにって私なら言っちゃう。
市長は次回のオリンピックでは必ず金メダルを取るように言い、引退を考えていた前畑を引き止めます。
さらに市民からも、周りの人からも、「次こそは金メダルを!」っと手紙やらなんやら色々届き、前畑さんは引退するにできなくなりました。
当時のコーチにも「堪忍してください」っと言ったそうですが、コーチにも引退を許してもらえず、結局誰も前畑さんの引退を認めてくれなかったそうです。
かなり辛かっただろうなー