エルトゥールル号事件【トルコと日本の友好の始まり】




世界の中でも親日的な国のトルコ!!

日本人観光客もよく訪れるこの国はテレビでもよく紹介されますが・・

トルコはとーーーっても親日的な国です。

日本が困ったときに助けてくれたことは数知れず・・

1985年イラン・イラク戦争

の際、イラン在留日本人を救出してくれたのもトルコです!

その時トルコ人は必ず「エルトゥールル号の恩を忘れない。」と言います。

エルトゥールル号・・

一体どんな船だったのでしょうか?どんな事件だったのでしょうか?

友情のために沈んでしまったエルトゥールル号

その事件についてと、それにまつわる感動的なお話をまとめたのでぜひごらんください。

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明治天皇への親書

日本が明治維新を果たして20年・・

当時のオスマン帝国は、かつて世界一の勢力を誇ったころの力はすでになく、終焉を迎えつつありました。

終焉を迎えつつあったオスマン帝国でしたが、皇族であった小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えることを目的に、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて派遣されることになりました。

11か月をかけ、1890年6月7日に、日本に到着し、

エルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈しました。

アブデュルハミト2世

しかし帰途に就く際、ひどい暴風雨に見舞われ、岩礁に激突、座礁しエルトゥールル号は機関部に浸水し、水蒸気爆発を起こして、22時半ごろに沈没してしまいました。

これにより乗組員全員、600名以上が海へ投げ出されてしまいました。

村民の決死の救出作業

その中でも数名が灯台下に流れ付き、数十メートルにもなる断崖を這い上がって、灯台にたどり着きます。

灯台守は見慣れない風貌、ひどく怪我した船員に驚きましたが、すぐに応急手当を行います。

もちろん言葉なんて通じない・・

さて困った・・

そこで国際信号旗を使用して、意思疎通を図ります。

そして遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることを知ります。

大島村(現在の和歌山県串本町)へ通報

そこで灯台守はすぐに近くにある大島村(現在の和歌山県串本町)の住民に連絡します。

この緊急時代に、村民たちは総出で救助と生存者の介抱に当たりました。

この時は台風が続き、村民たちも漁ができず、自分たちの食糧にも事欠くような有様であったにも関わらず・・

村民たちは自分たちの食べるものや、貴重な卵、鶏などを積極的に供出し、救出に努めたそうです・・。

(自分がこんなことできるのか自問自答してしまいます。)

結果として69名の命が助かります。

残念ながら残りの587名は死亡または行方不明となってしまいました。

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日本政府も援助

このニュースは翌日すぐに伝えられ、日本中の新聞に取り上げられます。

明治天皇も政府に「できる限りの支援をするように」というお達しを出し、

日本中から義援金や慰問品が集まるようになりました。

生き残った船員の健康が回復した20日後に、日本海軍の船でイスタンブールまで送り届けられることになります。

イスタンブールに着いた際、日本海軍は大変な歓迎を受けたそうです。

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