情熱大陸 82歳のアーティスト【田名網 敬一 たなあみけいいち】




82歳という年齢になってもいまだにポップで、奇想天外な作品を世に送り続けるアーティストがいます。

田名網 敬一 (たなあみ けいいち)

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「人生をかけなかったらおもしろいものはつくれない」

っと人生を欠け、奇抜なアートを世に送り出して来た巨匠、田名網敬一氏のついてせまってみたいと思います。

第二次世界大戦を経験

1936年に東京の服地問屋の長男として生まれます。

*服地問→着物や洋服の生地を取り扱うお店

比較的裕福な家庭で育ちましたが・・

日本は戦争へと突入していった時代です。

田名網氏もあの東京大空襲を経験されたそうです。

その時に見た、

轟音を響かせるアメリカの爆撃機、

それを探すサーチライト、

爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、

逃げ惑う群衆、

して祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿

「東京大空襲 イラスト」の画像検索結果

東京大空襲の図

などがあの奇抜な作品のモチーフになっているそうです。

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最初は漫画家を志す

絵を描くことは子供の頃から好きで、当初は漫画家になろうと思っていたそうです。

そこで人気漫画家の原一司のもとに弟子入りするも・・

なんと原が急死ししたため、漫画家を断念。

*原一司 戦前の少女倶楽部、少年倶楽部で人気を得ていた漫画家。

原一司

漫画家を断念しプロのアーティストになるべく武蔵野美術大学へと進学します。

在学時から認められた才能

芸術家というと若いうちは中々認めてもらえなくて・・っという方も多くいますが

在学2年生の時にイラストレーション、デザインの権威団体の主催する展覧会(日宣美)で「特選」を受賞するなど、在学時から際立つ才能に注目されていました!

卒業後は一旦広告代理店に就職するも、個人へのオファーが多すぎて、会社はやめて、自分の作品作りに没頭することになります。

(普通、画家として食べれないから副業で働くという人が多い中、その逆を行くって、どんだけすごいんですか!?)

その後は、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして多忙な日々を過ごします。

また、戦後日本を象徴する芸術運動の1つである

ネオダダイスムオーガニゼーション*に傾倒!

*1964年の生殖をいかに夢想しようとも一発のアトムが気軽に解決してくれるようにピカソの闘牛もすでにひき殺された野良猫の血しぶきほどに、我々の心を動かせない。真摯な芸術作品を踏みつぶしていく20.6世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」。

1960年代半ば以降当時アートとしては最も新しいメディアであった映像作品の制作にも没頭します。

代表的な作品や面白エピソードは次のブログで↓

田名網敬一さんのエピソードや結婚、作品についてです。

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