日本社会の厳しい洗礼を受けた捨松に運命の申し込みがあります。
それは夫となる大山巌からの求婚です。

出典:国立国会図書館
大山巌はヨーロッパに留学経験があり、
英語、フランス語、ドイツ語などが堪能でした。
しかし、先妻に病気先立たれ、子供を四人抱えた寡になっていました。
子供たちは自分の姉にまかせていたのですが・・
姉の考えは「女に学問はいらない」(薩摩出身ですからね・・)
一方大山巌は海外で女性が男性と同じように学問をする姿、仕事をする姿を見ていますから
「女性にも学問を」
っという当時としては先進的な考えも持っていました。
なので自分の子供たちの母親となってくれ、
女性が学問をすることに理解があり、
できれば海外経験があり、外国語が堪能な女性
(西洋では公式な場、社交の場に夫婦で参加するのが普通だったため、そういう場の立ち振る舞いに慣れていて外国語に明るい女性が妻として欲しかった。)
西洋かぶれになった自分をよしとしてくる女性を探していました。(大山巌は自身を西洋かぶれと言ってたそうです。)
そんな中、ある結婚披露宴で見かけた捨松に一目ぼれ!
求婚すべく、行動にでます。
断られてもめげない巌
大山巌は薩摩藩出身、捨松は会津藩出身です。
かつて新政府側と佐幕派で争ったいわば仇敵です。
捨松の両親は敵となんて結婚させられないとにべもなく断ります。
しかし、捨松の兄を通して何度も何度も求婚してくる巌に両親もついに根負け。
本人次第ということになりました。
捨松は
「人柄が分からなければ、お返事しようがありません。」っと答え、(この辺りがアメリカ育ちですね!)
ならばと巌は捨松を今で言うデートに誘います。
二人は日本語ではお互いが何を言っているかわかりませんでしたが・・
英語やフランス語で話したら話がはずみ
しかも大山巌はレディーファーストができる紳士!
大山巌ははっきり言って、ハンサムじゃありません。
あだ名が「ガマガエル」と言われるぐらいの容姿でした。
しかし堪能なフランス語や、西洋仕込みのレディファースト、世界事情への明るさに捨松は心を許し、結婚を決意します。
当時捨松23歳
巌は40歳過ぎ
年の差まさに 20才!
しかし二人は終生仲のいい夫婦であったそうです。
さて山川捨松改め、大山捨松侯爵夫人となった捨松は、侯爵夫人としての立場、陸軍卿夫人としての立場をもって、自分のできること、女性でも社会で活躍できることを示していきます!
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*現在編集中