津田梅子の友達 大山捨松女史の生涯 性格 経歴③




両親や家族に見守られながら、アメリカ行きの船に乗り込んだ捨松は、約1か月の船旅を経て、アメリカのサンフランシスコに到着します。

(実は未来の夫である大山巌も捨松が旅立った後、ジュネーブに向けて留学しています。)

5人のうち2人の女子留学生は、アメリカに来て間もなくホームシックにかかり、1か月ほどで帰国しています。(まあ無理もない・・)

捨松はまだ11歳だったということもあり、アメリカの生活にすぐに慣れていき、その利発さと聡明さにより一層磨きをかけていくことになります。

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ホームステイで身に付けた英語

捨松はコチカネット州ニューヘイブンの牧師レオナード・ベーコン夫妻の家に4年近く寄宿し、

そこで英語を猛勉強し、何不自由なく育ちます。

ベーコン牧師夫妻は捨松を実の娘同様に育て、教育を与えてくれたのです。

ベーコン夫妻は教会でのボランティア活動にも熱心な心温かい人柄であったようで、その人柄に感化されたのか捨松も洗礼を受け、クリスチャンになります。

高校でも優秀な成績を残していましたが、それ以上に教会での夫人の集まりや、バザーという概念(当時の日本にはまだなかった。)を学んだことが、日本に帰国後の活動に大きな影響を与えています。

(捨松は日本初のバザーを開いた人でもあるのです!)

女子の名門ヴァッサー大学に入学

捨松は高校を卒業した後、一緒に留学した永井しげと共にニューヨークにあるヴァッサー大学に入学します。

ヴァッサー大学と言えば、あの「あしながおじさん」を書いたジーン・ウェブスターなど、アメリカを代表する女性知識人を輩出した名門校です。

(現在はすでに男女共学になっています。)

しげは専門科である音楽学校を選んだのに対し、この頃までに英語をほぼ完璧に習得していた捨松は通常科大学に入学しました。

捨松の成績はすこぶる優秀で、特に生物などの理系が本当に得意だったようです。

侍LADYとして人気を集める

捨松はまた成績が良いだけでなく、快活で明るく、人望にも篤かったそうです。

日本から来た留学生としての珍しさもありましたが、

会津戦争の時に焼弾を消した武勇伝、

既知に富んだ会話、

魅力的な容姿、

運動神経も抜群で、

面倒見が良かったため、大学では捨松のことを知らないものはいないぐらいの人気者になりました。

また、その成績と人望から大学2年生の時には学生会の学年会会長に選ばれています。

また傑出した頭脳をもった学生のみが入会を許されるシェイクスピア研究会やフィラレシーズ会にも入会していたそうです。

(もうここまで来ると跪きたくなるレベルですね!)

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東洋人女性初の学位取得者

捨松は勉強に励み、通年成績学年3番で「偉大な栄誉」を獲得します。

卒業式には「総代」として自身の卒業論文である「英国の対日政策」について講演を行っています。

この内容は地元の新聞でも取り上げられ大きな話題となります。

また捨松は「東洋人女性初の学位取得者」でもあります!

日本の女子大生の第一号!というわけです。

さらにさらに・・

卒業後に帰国命令が出ていた捨松でしたが・・・・

アメリカで見た「看護婦」という仕事に心を打たれ、看護の勉強をしてから帰りたいと政府に願いを出し許可され、1年だけ延長し、看護婦の勉強をします。

ここでも優秀な成績で、「上級看護婦」の資格を得てから帰国の途につきます。

捨松がアメリカで看護婦の資格を取ったことは、日本の近代看護の発展に大きな影響を与えます。

それについてはこちらから↓

*現在編集中

さて、懐かしい祖国に帰った捨松でしたが、帰国後には厳しい現実が待っていました。

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