新5000円札の女性 津田梅子の生涯・性格・功績⑤




華族女学校に馴染めず、

自分の理想とする教育がここではできないことを痛感した梅子は再度アメリカに渡ります。

梅子はフィラデルフィア郊外の名門女子大学群の名門のブリンマーカレッジに入学し 、生物学を専攻しました。

アメリカでは研究に没頭し、カエルの卵についての研究でかなりの成果をあげ、大学の教授も大学に残って研究するように懇願したそうですが、

「自分の使命は日本の女子教育を発展させること。」

っと決意は固く、申し出を断り2年で日本に帰国します。

研究と同時に当時最先端の教授法(先生がどのようにして教えれば生徒にわかりやすいかという理論)も学びました。

本当に1日に何時間学問に励んでいたんでしょうか?

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世界を変えた女性との対面

またアメリカでは、当時三重苦(見えない、聞こえない、話せない)を乗り越えたヘレンケラーとも対面。

その情熱と力に感銘を受けます。

また、イギリスに訪問した際は、

あのナイチンゲールとも対面を果たします。

フローレンス・ナイチンゲール

「ナイチンゲール」の画像検索結果

クリミアの天使と呼ばれ、看護師の地位を一気に引き上げた人物。ナイチンゲールがクリミア戦争で功績を上げる前までは、看護師は卑しい職業とされていた。

当時はもう老齢の上、病で寝たきりになっていたナイチンゲールでしたが、

「イギリスも昔はそうでした。親は娘に早く結婚することだけを望んでいました。でもくじけないでください、あなたならできます。」

っと励まされ、女子教育で世の中を変えるという思いを新たに、日本へ戻ります。

日本ではまた、華族女学校で教鞭をとりましたが、心の中には自分の学校を作るという熱い想いに燃えていました。

おまけ 当時の女子エリートの苦労

男尊女卑が激しい明治時代においても、男子以上に優れた女子エリートはたくさんいて、

その中でも有名なのが

日本女子初の女医である荻野吟子さんです。

Ogino Ginko2.jpg

家庭教師などをしながら学費を稼ぎました。

女性の医師は前例がないという理由で国家試験を受けさせてもらえなかったりなど、様々な困難を乗り越え、1885年についに医師の資格を手にします。

彼女が大学の在学中のとんでもエピソードの中には

・男装して通学するも、トイレをのぞかれる(完全に犯罪やん!)

・いやがらせで実験や解剖の授業などで締め出しを食らう

などの子供じみた嫌がらせを受けています。女性であるだけでこんな目にあうってバカげてますが、こういう勇気ある女性たちのおかげで、今の女性の地位があるわけですね・・

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コメント

  1. 津田梅子がナイチンゲールに会っていたとは、初めて知りました(^.^)

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