新5000円札の女性 津田梅子の生涯・性格・功績④




新5000円札に選ばれた津田梅子女史の生涯や功績、性格などをまとめました。シリーズになっているので、①からお読みください。

梅子は日本での悶々とした日々をランマン夫妻に

「アメリカになんて行かなければ良かったとよく思います」と手紙に書き送っています。

日本の中で生きていれば疑問に思わなかったことも、アメリカに行ってしまったがためにと思ったんでしょうね。

さて、日本政府も男子のための高等学校を作って数年後、ようやく女子の高等学校も作り始めます。

しかし、その教育も「良妻賢母」を作るというのが目的で、男子のような教育は女子には不要と考えられていました。

っとは言え、その作られた学校で梅子は働き始めることになりました。

自分の学んだことがようやく活かせると意気揚々と華族女学校(今の学習院女子)教師になった梅子ですが、ここでもまた梅子はガッカリすることになります。

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学ぶ気のない生徒達

華族というのは、明治維新に貢献した旧公家や大名の家族のことで、当時の超特権階級でした。

その家の少女達でしたから、物腰は上品で、優雅なものでしたが、彼女たち自身は学問を身につけようとか、学んで自分を高めようだなんてさらさら思っておらず、結婚前の準備期間、花嫁修業のために学校に来ていると言った感じでした。

「華族女学校」の画像検索結果

当時の華族女学校の様子を描いたもの。華やかな様子が描かれている。

身分の高い生徒でしたから、先生の方が生徒に様をつけて呼んでいる場合もあったそうです。

(当時の思想から考えるとしょうがないですね。)

そのため、アメリカ的でサバサバして間違いをはっきり正す梅子のやり方に生徒の方が付いて行けず、梅子も生徒にかなり気を使わなければならず、自分の理想とする授業はできませんでした。

なぜなら

間違いを間違いということができない。(間違いを指摘するのは生徒に失礼だったらしい。)

授業中に読み直しをさせると、生徒が泣き出す。

梅子の英語に生徒は笑う

とにかくどんなに優しく気を使っても怖くて、女性らしさのない先生、アメリカ帰りのおかしい先生というのが生徒の印象だったようです。

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華族女学校について

明治時代、男子に遅れて女子教育が始まりました。

華族女学校はその中でも官費で作られた女性のための高等教育の場ではありましたが、

教育の内容は男子の高等教育とは違い、

良妻賢母となるためのもの

女性としての嗜みを教える場で、上流階級がよく行っていた習い事の延長の域は出ませんでした。

成績の甲乙はその後の人生にあまり関係ない

むしろ容姿端麗なものは、卒業前に結婚して学校をやめるというのが普通でした。

女学校を優秀な成績で卒業しても誇れるものではなく、むしろ女学校を卒業するというのは、

結婚できないブスと言った不名誉なことでした

(当時卒業顔という言葉がありました。卒業してしまう不細工な顔という意味です。うーん、失礼な!)

そんなわけですから、華族女学校でまた失望した梅子は華族女学校を休職し、再度アメリカに渡って学び直す決意を固めます。

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