新5000円札の女性 津田梅子の経歴・性格・功績②




利発な東洋人の少女として

梅子の利発さは次第にアメリカの中でも有名になっていきます。

長い詩を大勢の観客の前で暗唱したり、

学校でも好成績を収めたり、行儀の良さでも賞をもらったりしました。

この行儀で賞をもらったことに対してランマン夫妻は大変喜びましたが、

梅子自身は

行儀や育ち生まれに対して賞を出すことは変です。人はその努力によって得たものに対して評価されるべきです。

と言ったそうです。

これは自由の国アメリカが建国以来かがけて来た、精神でもあり、梅子の中には日本人女性として先進技術を学んでいる誇りと共に、アメリカの精神もしっかり身につけていたんですね!

これにはランマン夫妻も恐れ入ったというところでしょう。

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キリスト教の洗礼を受ける

当時日本はキリスト教徒になることはまだ許可されていませんでしたが、梅子はランマン夫妻の信心深く、温かい、優れた人柄に感化されたのか自らキリスト教徒の洗礼を受けます。

ちなみにランマン夫妻は特に信仰を強制したりはしていません。

しかし実の父母以上に自分をいつくしみ、育ててくれた養父母に対する敬愛の念は一押しだったことでしょう。

1882年の帰国までアメリカでしたこと

梅子は1881年に日本政府から一度帰国命令が出るも、1882年まで延長願いをだし、当時のアメリカの女子高等学校を卒業するまで、しっかりと勉学に励みました。

梅子は

・英文法、英文学

・フランス語

・ラテン語

・アメリカ史

・自然科学

・心理学

・芸術

などを学び、いずれも優秀な成績で卒業しています。

当時の日本ではまだ一般的でなかった

・テニス

・社交ダンス

・旅行

などもかなり得意でおてんばな一面もあったようです。

アメリカで最先端の学問を身に付け、旅行をして見分を広めた梅子は、その知識や経験を日本で活かそうと1882年に山川捨松と帰国の途に就きますが・・

帰国後に大きな試練が待ち受けています。↓

*現在編集中

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