令和という新しい時代がやってくると同時に、日本のお札も新しくなりますね!
千円札は北里柴三郎
一万円は岩倉具視
五千円は今回紹介する津田梅子女史です。
日本初の女子留学生
津田梅子は、1864年に武士の娘として年に生まれました。
梅子が6歳の時に、父親の意向で女子留学生にされます。
(これからの時代、留学しておけば良い嫁ぎ先が見つかるから、みたいな理由だったらしいですが!)
わずか歳の娘さんを当時なら今以上に、はるか彼方のアメリカにやるなんて・・・・
かなりぶっ飛んだお父さんですね。( *´艸`)
江戸時代から明治時代の女性というのは家の為に、家で生きる、15、16歳で嫁ぐことも多かったこの時代・・
この選択がなければ、日本の女子教育は遅れていたでしょうし、津田塾大学もなかったでしょうから、お父さんには感謝ですね。
選ばれた梅子は5人の仲間と共にアメリカへ!

教科書にもよく載っている写真ですね! 梅子は一番小さい女の子です!左から永井繁子,上田貞子,吉益亮子,津田梅子,山川捨松 出典:ロンパリ 考える椅子
梅子は選ばれた女子のなかで最年少でした。
多分当時の人は、「あんな小さな娘をやるなんて親は何考えてるんだろう?」って思ったのではないでしょうか。
それに、簡単なhello, thank you程度しか教えてもらえず、船に乗せられました。
梅子さんは心の中で「お父さんの馬鹿!」とか思ってたんじゃないでしょうか?
最年少が功を奏す
1ヶ月以上の長旅を終えて、無事アメリカに着いた5人の女子留学生は、それぞれ別の家庭に預けられます。
梅子はランマン夫妻という家庭に預けられます。

出典:ロンパリ!考える椅子
ランマン夫妻は敬虔なクリスチャンでしたが、子供に恵まれなかった為、梅子を引き取ったと言われています。
ランマン夫妻は梅子を実の娘のように可愛がり、教育します。
しかし梅子と山川捨松、永井繁子以外の2人の留学生は極度のホームシックと、生活習慣の違いから体を壊してしまい、一年も経たずに日本へ帰国してしまいました。
一方梅子はまだ小さかったこともあり、特に苦労なく生活に馴染み、英語もどんどん吸収していきます。
しかし、日本語はどんどん忘れていき、両親との手紙のやりとりも次第に英語になっていきます。
それはそうですよね・・わずか6歳でアメリカに行って、日本語が全くない中にいれば小さい子は日本語なんてあっという間に忘れてしまいます。(+o+)
この日本語を忘れたことと、アメリカで学んだことが日本に帰った後、梅子を苦しめることになります。
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*編集中
(一応お父さんの方はつたないながらも英語を理解することができたそうです。)
英語が何不自由なく話せるようになっていった梅子はその才覚をアメリカでも注目されるようになります。
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