令和おじさんこと菅官房長官ってどんな人②【気になる経歴ー初当選に至るまで経緯】




新元号「令和」を発表した菅義偉官房長官がかわいいとじわじわと話題になっています。

菅官房長官の生い立ち、大学卒業まではこちらにまとめてあります。

令和おじさんと呼ばれている菅官房長官の経歴や人となりをまとめてみました。

さてここからは大学卒業後です。

一旦就職するも政治家を志し、

1973年、大学卒業後は一旦、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社しました。

しかし1975年には、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介されます。(文部科学大臣もされた方です。)

「中村梅吉」の画像検索結果

その伝手で、当時同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書に採用されます。

かなり優秀な秘書であったそうで、以後11年間、小此議員の片腕として働きます。

その手腕を買われて、1983に小此木議員が通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官を務めました。

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出典:http://www.sugayoshihide.gr.jp/profile2.html こちらは小此八郎さん。彦三郎議員の息子さんにあたります。

秘書として11年、ついに出馬!しかし激戦区へ

昭和61年、ついに横浜市の西区から出馬を決意し、11年勤めた小此木事務所を辞めます。

しかし西区は当時から激戦区。

(地盤もコネもない菅さんに「自分は引退するから、違う選挙区で出馬したらどうか」という誘った議員さんもいたそうですが、その選挙区からは既に自民党から若手が二人出馬していたため、断ったそうです。)

地盤もお金もコネもないわけですから、菅さんはとにかく毎日歩きまくる、1軒1軒回っていくという地道な活動をされます。

ダメになった靴は六足

辞めたその日から、菅は、ひとりで西区の家を一軒一軒まわり始めました。一日300軒、4月の選挙前までに3万軒をまわり、6足の靴がダメになりました。ある日、菅が行った家は、別の候補者を支持する家だったそうですが、彼の靴を見て、なんでそんなボロボロの靴を履いているのか聞いたそうです。そして、事情を知った家の人は「これだけの苦労をしてるのだから、菅さんは、必ず当選するよ」と言われたそうです。

出典:菅義偉公式サイトから【菅義偉を語る人々】

っととにかく地道な活動を続けます。

ある日お昼にお蕎麦屋さんに入ったときには過労で倒れたそうですが、それでも選挙活動を続けたと言います。

誰も予想しなかった激戦区からの当選

今でこそ自民党の顔である内閣官房長官ですが、最初は自民党の公認も貰えず、無所属だったそうです。

(当時その選挙区には自民党の長老がいて、自民党から出馬を見送るように言われるも、断固拒否したためいじめられたろ、嫌がらせも受けたそうです。)

(やっと公認が貰えたのは選挙の直前だったのだとか・・)

そんな地盤もコネもない中で元同僚は奥さんに「なんでこんなつらい選挙をさせるんだ。」と責めたそうですが、奥様は控えめながらも「必ず主人を応援してくださる方が増えていくはず。」っと言ったそうです。

控えめな奥様でメディアに出てくることはないですが、ずっと旦那様を支えている古き良き大和撫子なんでしょうね・・。

本当にその通りになり、個人献金も支援者もだんだん増えていき、激戦区と呼ばれた西区で見事に当選を果たします。

「菅義偉 初当選」の画像検索結果

出典:スマートフラッシュ 初当選の様子

菅さんの哲学

菅さんの哲学は

「お金が無くとも、地盤が無くとも、強靱な意志と弛まぬ努力があれば、何事も成し得る」

出典:菅義偉公式サイトから【菅義偉を語る人々】

だったそうですが、まさにその通りにさせてしまったのは本当にすごい!

この時、出馬していなかったら今の菅官房長官は絶対なかったでしょう!

さて誰も予想にしなかった当選を果たした菅さんは、市議会議員となりその本領を発揮していきます。

続きはこちらから↓

*現在編集中

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