令和おじさんこと菅官房長官ってどんな人




新元号が発表され、新しい元号使用に向けて日本中が急いでいますね!

昭和から平成に変わったときも、恐らく多くの日本人が戸惑ったのでしょうが・・(筆者は平成元年生まれの為、元号が変わるのはこれが初めての経験です。)

さて平成を発表したのはもうお亡くなりになってしまった小渕元総理大臣(当時は官房長官)でしたが、

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出典:日系新聞 時代を感じる眼鏡とスーツです。

令和を発表したのは現官房長官の

菅義偉氏です。

「菅 令和」の画像検索結果

出典:東洋経済

今ネットで「令和おじさん」と呼ばれて話題になっているので、この令和おじさんこと菅義偉官房長官の経歴や人となり、政治主義などをまとめてみました。

プロフィール

・1948年12月6日生まれ(70歳)

・出生地: 秋田県雄勝郡雄勝町(現:湯沢市

・最終学歴:法政大学法学部政治学科を卒業

・前職:段ボール工場作業員
建電設備株式会社社員
衆議院議員小此木三郎秘書
横浜市会議員お

・現職:衆議員、内閣官房長官

沖縄基地負担軽減担当大臣

拉致問題担当大臣

っと実は最初の職歴は段ボール工場の工員だったんですね!それを知るとなんか親近感がわきますよね!

農家生まれで、ごく普通の家庭に育つ

秋田県の農家の長男として生まれます。お父様は、戦前は「満州鉄道株式会社」*にお勤めだったそうで、戦後日本へ引き上げたて来たそうです。

*通称「満鉄」1932年から1945年の中国東北部にあった国。

引き揚げ後、郷里の秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、地元の農業発展にかなり貢献された方だったそうです。

お母様は教員をされていたそうなので、かなり真面目な家庭に育ったのでしょう。

当時の雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)に進学し、中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属していたそうです。

高校卒業後に集団就職を経験

高校では進学組に所属していたものの、特に目立っていい成績だったわけでも、活発な学生だったわけでもなく、かなりおとなしめの性格だったそうです。

ご両親に北海道の教育大学や農業大学の進学を進められるも、それを断り、「東京に行けば何か変わるかもしれない!」という思いから集団就職を利用して、上京。段ボール工場の工員として働き始めます。

工員をやめて大学へ、そして・・

しかし現実はそう甘くなく、東京で悶々と過ごしていた時、私立大学の中で一番学費が安いという理由で、「法政大学」を受験、見事に合格します。

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1973年に大学を卒業した後は、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社しました。

大学卒業については次のブログで

令和おじさんこと菅官房長官の経歴をまとめています。コネも地盤もない中、横浜市議会議員に初当選を果たすまでの経緯をざっくり説明しています。

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