韓国の時代劇の出てくる、色鮮やかなチマチョゴリ・・
ノスタルジックな街並み
ああ、素敵だなあって思うでしょうが
朝鮮王朝時代の韓国はそんな綺麗ではありませんでした!
服は基本的に白
時代劇にはどんな身分の人でも色鮮やかで美しいチマチョゴリを着ています。
しかし、実際庶民が着ていたのは「白」だけ。
なぜかというと
1 染める技術がなかったから。貴族などは中国から輸入した色物を着ることもできましたが、庶民には手に入る代物ではありませんでした。
2 韓国では喪中の際白い服を着ますが、時代を経るにつれて死んだ人も多くなるわけで・・それを厳格に守っていると年中無休で喪中なので色物を着ることができないわけです。
非衛生的な街並み
19世紀の女性旅行家イザベラバードはソウルの街並みについて次のように記しています。
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の 汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。 Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。」
イザベラバード 朝鮮紀行
だから時代劇に出てくるようなきれいな街並みではなかったんですよね・・。事実。
当時の日本についてはこう語っています。
吉田は豊かで繁栄しているように見え、沼は貧しくてみすぼらしいものの、山腹から救出された沼のわずかな農地は吉田のそれと同じようにすばらしく整然として手入れが行き届き、完璧に耕されています。また日当たりのいい米沢の平野の広い農地と同じように、気候に合った作物をふんだんに産します。そしてこれはどこでもそうなのです。「無精者の畑」は日本には存在しないのです。
イザベラバード 日本紀行
また、日本ではお金をとられたり無礼な目にあったことは一度もなく、みな親切であったとも言っています。
ちなみにソウルが近代化してきれいになったのは、実は日本に併合されてからです。

出典:http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html 併合前の南大門

出典:http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html 併合後の南大門
謎の習慣
朝鮮王朝時代には謎の習慣がいくつかありました。
① 長男を産んだ女性は胸を出す→長男を産んだという誇り
② 娘が嫁ぐ前に、懐妊能力があるか父親が試す。生まれた子は嫁ぎ先で永遠に奴隷
③ 髪や爪、ひげは基本的に切らない。→親からもらった大事な物を切るなんてとんでもないという考え方。
④ 労働は卑しいもの。貴族はどんなに落ちぶれても労働しない。極端な例では、落ちた物すら拾わない。
っと日本人から見るとかなり謎の習慣がありました。
ドラマは幻想
日本の時代劇も事実を描写しているとは限りませんし、時代劇というのはどこの国でもかなり脚色が入ったものです。
しかし韓国の時代劇はかなり脚色、理想化されたものなことは忘れずに見た方がよさそうです。
歴史を勉強するためでなく、ストーリーを楽しむために見る方がいいでしょう!