知恵泉 日本女子初のオリンピックメダリスト 人見絹枝の人生①




今でこそ、オリンピックで日本女性が活躍するのは当たり前で、メダルを取れば拍手喝さいものですが、一昔前、特に戦前は女性がそもそもスポーツをしたり、人前に出て目立つこと自体を偏見の目で見られることがたくさんありました。

その偏見の目を物ともせず、日本人女性として初めてオリンピックでメダルを取った女性がいます。

そのかたは

人見絹枝さんです。

出典:THE 歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜|BS-TB

身長 170センチで、今の女性から考えても背が高いですが、当時の女性の平均身長が150センチ程度だったことを考えれば、チョーデカイ女性だったことに間違いはありません。

出典:THE 歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜|BS-TB 周りより一つとびぬけて大きい!

そんな彼女の人生の闘いをまとめてみました。

スポーツ万能少女、陸上との出会い

人見絹枝さんは年に岡山県で次女生まれました。

幼い時から活発で運動が得意な少女であったそうです。

出典:笹川スポーツ財団 座っている方が人見絹江さん

また文才もあり、学校を卒業してからはある時は学校の教員として、ある時は新聞記者として働きながら、陸上の練習をしていました。

女学校時代はテニスに打ち込んでいましたが、その俊足が変われ、陸上大会に出場したところ、優勝したことから、陸上を始めました。その後、二階堂体育体操塾(現在の日本女子体育大学)で、塾長直々の指導を受け、日本わ代表する選手として腕を上げていきます。

出典:日本女子体育大学

鉄人とも言える記録

彼女は当時の日本記録、世界記録をあらゆる陸上種目でうち立てていきます。

IOC公式記録

競技 記録 年月日 場所 備考
100m 12秒2 1928年5月20日 大阪 カナダのクックが同年7月2日に12秒0を出すまで42日間保持。
200m 24秒7 1929年5月19日 神宮 オランダのシュールマンが1933年8月13日に24秒6を出すまで1546日間保持
走幅跳 5m50 1926年8月28日 ヨーテボリ イギリスのガンが翌年8月1日に5m575を出すまで337日間保持
走幅跳 5m98 1928年5月20日 大阪 ドイツのシュルツが1939年7月30日に6m12を出すまで4087日間保持

引用:Wikipedia

非公式世界記録

競技 記録 年月日 場所
400m 59秒0 1928年5月6日 美吉野
三段跳 11m62 1925年10月17日 大阪

引用:Wikipedia

現在まで存続していない種目での世界記録

競技 記録 年月日 場所
50m 6秒4 1927年11月3日 神宮
60m 7秒5 1929年10月19日 瀋陽
立ち幅跳び 2m61 1927年5月8日 神宮
三種競技 217点(100m:12秒4、走高跳:1m45、やり投:32m13) 1929年4月28日 美吉野

引用:Wikipedia

今日本女子の陸上界でこんな人いないですよね?

彼女がいかにすごかったか理解できます。

冷たい世間の目

しかし、スポーツに打ち込む彼女に、心よく思わない人たちもたくさんいました。

それもそのはず!

当時、女性は早く結婚して子供を産み、立派に育てることが使命であり、学校でも女性は「良妻賢母」となるために教育されるのであって、個々の能力を伸ばして社会で活躍することは期待されていませんでした。

昭和の令嬢の写真

また陸上の格好を見て

「太ももを出して走るなんて、日本女性の恥!」

とか男尊女卑な考えが主流だった日本なので、かなりバッシングされたそうです。

世間に負けない強さ

そういう世間の冷たい目やバッシングに耐えられず、オリンピックを断念したり、引退を余儀なくなされた女子選手(寺田姉妹など)もたくさんいましたが、人見絹枝さんはこう言って跳ね除けました。

「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、日本女子競技会には指一つ触れさせない」引用 Wikipedia

強いですよね!

自分より後輩を守ろうとする、その姉御肌!かっこいい惚れてしまいます❤️

あなたのおかげで今の日本女子があります!っと感謝したい。

では次のブログで彼女のオリンピックでの栄光までの記録を見ていきましょう!

日本人女性初のオリンピックメダリスト人見絹江さんの人生をまとめました。
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